雨がざあざあ降っている。嵐の通過とともに11月は始まった。

ここ数年、体感的には地球温暖化を感じていて、落葉のピークが年々少しずつ遅れているような気がしていたが、今年は落葉がわずかに早まった印象だ。というのも10月中旬以降ストームのような天候が多かったためと思われる。樹木というのは葉っぱが茂っていると強い風雨にさらされた時には枝が折れやすくなる。それを避けるために急いで紅葉して落葉させているようにも思える。冬に完全に落葉してしまうのは雪対策の意味もある。雪の重みで枝が折れないようにするためだ。自然とは本当によくできたものである。

日本は台風被害で大変な10月であった。特に関東を直撃した台風19号は長野、千葉、東北で甚大な浸水被害をもたらした。東京都心は俗に「地下神殿」と呼ばれる地下空洞が造られていて、大雨による大量の水はここに貯水できるシステムが備わっている。今回の台風でこの施設がフル稼働して東京は被害を回避できたのだ。しかし、地方は大変だった。巨大な自然の力の前に人間の力は非力である。被災された方には心からお見舞い申し上げたいが、ヨーガな視点からちょっと考えてみたい。

自然災害とはいうものの、自然の側から見れば「災害」でもなんでもなく、ただの自然現象に過ぎない。現象には起こる原因が必ずあって、その因果で結果が現れているだけのことである。災害というのは、人間が勝手に作った人工物が、予想を超えた自然現象によって破壊された結果を、人間的観点で捉えた呼称であるとも言える。自然についてもっと理解をして、もっと自然と調和した生き方をしていれば、自然現象に大なり小なりの影響を時には受けたとしても、それを「災害」だとは捉えないのではないだろうか。「災害」という言葉にはどこか自然を侮っている人間の驕りというものが隠されているような気がする。ましてや、近年巨大化する傾向にある台風やハリケーンは人間のエゴが原因である可能性が大いにある。被害者意識だけで終わるのではなく、この体験が自然に対する尊崇の念を新たにする契機となることを祈っている。

そして、さらに、僕が驚いたのは災害ごみの多さである。これを見れば「災害」とはまさに人工物の破壊であることがわかる。野生動物たちが「被害」なるものにどれほど見舞われたかの報告は出ては来ないだろうが、おそらく人に比べたら皆無に近いに違いない。彼らにはあらかじめ自然界の異常を察知できる能力が備わっているし、そもそも、基本的に被害を受ける所有物など持ち合わせていないのだから。あの災害ごみの多さを目にしたら、人がいかに多くのモノを持っているかということに驚くばかりである。少しは野生動物たちを見習うのも悪くはないのではないか。

あの光景を見て感じた自戒の念でもあるが、私も余計な所有物など持たぬがよいと強く思った。ミニマリストと呼ばれる人たちが現れてきている現代である。僕もその境地をこころざしていきたいと思った次第である。


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