一年以上も積読状態➽になっていた藤沢周平の小説「白き瓶」をこの自宅待機令を良いことについに読了した。
明治の歌人長塚節の生涯を綴ったいわゆる伝記小説であるが、読み始めたものの期待していた藤沢調とは全く異なり、二章の途中からもう先に進まないでいた。藤沢周平の小説といえば、講談的なストーリー展開で読者をひきつける大衆時代小説という印象があったのだが、この「白き瓶」は全く趣を異にする作品であった。藤沢氏は大衆受けをする娯楽作品を多く書いているが、文学として評論家を唸らせるような部類に属する作品もいくつか世に出している。吉川英治賞を受賞したこの「白き瓶」は明らかに後者の部類に入る作品であろう。そういうジャンルの作品も含めてトータルに藤沢文学を見たとき、初めてその作家の真価がわかると言ってもいいのかもしれない。間違いなく大衆の一人としての僕は、最初、その真価が汲み取れなかったのである。
ストーリーに引き込まれる面白さがなかなかやって来ないこの手の小説は、読み進めるためにちょっとした意識と準備が必要である。つまりある程度の予備知識を備えた上で能動的な読書をするのである。この方法を試みた途端に小説の面白みが格段に増した。自分の中の断片的で無機的な知識が次第に繋がっていって生命を得て動き出すかのようだった。
考えてみれば僕は長塚節なる人を全く知らなかったし、この人物が生きた時代背景についても知識不足であった。短歌も俳句もさほどの興味を持たなかった僕が、何の準備も無く一人の歌人の魂を理解するのは到底無理なことであった。しかし、この壁を破るきっかけは思いも寄らず手近なところにあった。それはつまり本の最後に加えられている解説である。どうにもこうにも先に進まないので、ちょっと「あとがき」でも読んでみるかと、ふと思いたったのだ。しかし、どうしてもっと早く気がつかなかったのかと思うくらい、たった数ページの解説が長塚節と彼の生きた時代に対する好奇心を僕の中で搔き立てる結果となったのである。
僕はまず長塚節についての基礎知識を頭に入れることにした。意外にもブリタニカにもウィキペディアにもその名前は出ていた。文学史上では知られた人だったのである。同時代にはよく知られた馴染みの文学者も多い。夏目漱石、正岡子規、与謝野晶子、森鴎外、石川啄木、伊藤左千夫、斎藤茂吉、等々である。時代は日本が文明開化を経て、東洋の新興国として日の出の勢いで発展しつつあった明治の頃である。司馬遼太郎曰く「日本が坂の上の雲を目指してまっしぐらに前に進んでいた時代」である。愛国者としてはこの時代を嫌うものはいないであろう。
自分の祖父母が子供の頃を過ごした時代。そう思うとこの時代への親近感も一層増してくる。リサーチが進み、芋づる式にその頃の文化人たちの系譜がわかってくると、小説の理解度がぐんと上がってきた。そして理解度が増すにつれて、あれほど退屈に思えた小説が次第に面白く感じてきたのである。さらに長塚節の故郷である茨城県下妻市は、実は僕にとっても馴染みの深い地域だった。僕の大学は筑波大学だったから、大学から実家の埼玉に帰るときにはいつも下妻を抜けて利根川を渡るルートを通っていたのだ。小説の中にもあった長塚節が伊藤左千夫らと登った筑波山にもよく出かけたものだ。
そんなこんなで、長塚節と僕の距離がぐっと近くなってからというもの、この小説を先に読み進めることは僕の毎日の楽しみとなったのである。引用されている節の歌もいちいち鑑賞しながら読むものだから、時間はかかったがその分味わいも深まった。その間、準主人公のような形で登場する伊藤左千夫の「野菊の墓」も読んでみた。節の長編小説「土」も読み始めた。夏目漱石の「土」に向けた評論や節の師である正岡子規について書いたエッセイなども読んでみた。長塚節の実家がいわゆる大地主であり、村の小作農民や一般民衆とは一線を画した立場にあったことを知ると、この当時の貧富の差がどこから生まれたのかと興味を持って調べたりもした。僕の父の出身が新潟の大地主であったことが共通していたからだ。そうやってあちこちと道草を食いながら、およそ2年越しで小説・長塚節を読み終えたのである。
「白き瓶」というタイトルの意味も小説を最後まで読んで初めて合点がいった。つまり独身のまま37歳で早世した歌人・長塚節を、清潔で美しいが壊れやすい身体を持っていたという点で、白埴の瓶に喩えたのである。そして「白埴の瓶」は長塚節が歌の中で好んで採用したテーマだったのである。作者である藤沢周平氏の細やかな心遣いが見て取れた。
小説を読み終えた僕は、長塚節が死の間際まで保養の地を求めて旅をした九州地方を訪ねてみたいと思った。彼のお気に入りだった大宰府の観世音寺も是非観てみたい。ニューヨークから日本には年に一度は帰ることにしているのだが、なかなか九州までは足を伸ばせない。しかし、九州にだけはまだ足を踏み入れたことがないから、来年一時帰国できるようだったら、是非とも九州旅行を実現させたいと思っている。
「長塚節のゆかりの地を訪ねる」という旅のテーマがは僕の中ではもう明らかになったのであるから。
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