自分は「戦争を知らない子供たち」の一人のはずなのに、日本人という民族共通の記憶があるためか、夏が近づくと不思議と先の戦争のことが思い出される。僕の机の上にはいつの間にか「きけわだつみのこえ」が出ているし、思い出したように「永遠のゼロ」も観た。日本民族の共通意識は妻にもあったようで、「火垂るの墓」が観たいとしきりに言い始めたのは妻であった。
YouTube で検索するとなんとフルでアップされていたので、先日の終戦75周年記念日の夜に、プロジェクターで写して一緒に観ることになった。先人のご苦労を偲ぶことが第一の動機であるが、ジブリ映画にはとかく監督の反戦左翼思想が滲み出ているところがある。前に見た「風立ちぬ」でもそうだった。「火垂るの墓」の監督は高畑勲だったが、宮崎駿同様に反戦左翼であることには変わりがなさそうだと僕は思った。
とにかく主人公の清太と節子を取り巻く人たちの意地悪なことと言ったらなかった。原作者野坂昭如の脚色もあろうが(体験にもとづいているとは言え小説だから)同じ国難を味わっているはずの同胞同士なのに、あまりにもシンパシーのない人々が描かれていることは残念だった。あの当時、多くの子供が戦争孤児になったであろうが、対岸の火事を見るように無情にも誰も保護してあげなかったのだろうか。僕は疑問が湧いて、ちょっとリサーチしてみることにした。
少し調べて見た結果、「火垂るの墓」の描写はまんざら脚色ではないかもしれないと思うようになった。あの時代、戦争で死んだ人たちよりも、むしろ生き残った人たちの方が悲惨であったかもしれない。特に全国で12万人にも上ったと言われる戦災孤児たちには、これから本当の地獄が待っていたのかもしれなかった。
戦災孤児についての本は何冊か出ている。戦後75年が過ぎた今でも、彼らの心の傷は癒えていないという。「拾うか、貰うか、盗むか」しなければ生きていけなかった、親も家も亡くした浮浪孤児たち。親戚の家をたらい回しにされて、あからさまな差別と冷遇を経験した孤児も多かった。彼らの証言を読むと、僕の中のこれまでの日本人観は間違っていたのかもしれないと思ってしまう。僕は日本民族は総じて高潔で情に厚く道徳心が高いと信じていたのだ。しかし、それは僕の勘違であったのかもしれない。日本人の一般的な民度は、もしかしたら、世界と比べても何も特別なものではなかったのかもしれなかった。
ただ、もし、他の民族と違っているところがあるとすれば、数百人か千人に一人くらいの割合で、自己犠牲を厭わぬような霊性の高い人が出現するということである。その人たちはたぶん「菩薩」と呼んでもいい。日本にはいつの時代にもその菩薩の道を実践しようとする人たちが、必ずある一定数存在しているのだと思う。そして、それがこの国のこの民族の本当の希望であるに違いないと僕は思うのだ。今も昔もそして未来も、日本は菩薩の国であることを僕は信じたい。
高畑勲監督は「火垂るの墓」を単なる反戦映画にしたくはなかったらしい。映画を観た人それぞれが「何か」を考えるきっかけにして欲しかったようだ。確かにこの映画は僕にとっても単に「観て終わり」というわけにはいかなかった。後に引くものが色々とある。そういう意味では僕は高畑さんの計略にまんまとハマってしまったということか。
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