昨日は次男の ACT があって、ニュージャージーのユニオンシティまで行ってきた。
コロナの影響でこれまでも何度もキャンセルになった ACT であるが、いよいよ受けられると思っていたら、ニューヨークの近くのテストサイトは未だオープンせず、最も近い場所がニュージャージーだったというわけ。それでも、直前にキャンセルされるかもしれないと覚悟していたが、結局、予定通りに行われることになった。
片道1時間の道のりをドライブして無事に試験を終えて帰ってきた。なんだか大きな肩の荷を下ろしたような気分である。もちろん当の本人こそがそういう気持ちなのであろうが、親である僕にとっては、長男から始まってもう10年近くも続いたカレッジの出願プロセスがいよいよ最後の一人ということで、感慨はやはり深いものがある。
我が家にとっての、最後の一人の最後の標準テストが、コロナのおかげで図らずも思い出に残るものになった。これは「思い出づくり現象」に違いないと僕は思った。「思い出づくり現象」は運命的に大きな転換点が訪れる前に現れる。僕の人生、これまでも、何度もこの現象を感じてきた。きっとこれから何かが変わるのだろう。
息子が試験を受けている間、家に戻ってまた迎えに来るのもバカバカしいので、どこかで時間を潰すことにした。思い起こせば、自分も大学受験で筑波大学を受けた時、試験会場まで親父の車で連れて行ってもらい、僕が試験を受けている間に、親父にはどこかで時間を潰しててもらったことがあった。もうかれこれ40年も前のことだが「歴史は繰り返すのだなあ」としみじみ思った。これって、もしかしたら「摂理的同時性」かもしれないと思ってみたりする。(しかし、驚くべきことに、あの時、親父はまだ50歳だったんだなあ。)
久しぶりにミツワマーケットに行こうと決めていたが、午前10時の開店までにはまだ時間がある。どこかで時間を潰さなければならない。前もって調べてみたら、近くに良さそうな公園があったのでそこに行ってみることにした。
Braddock Park というその公園は、真ん中に大きな池があるとても素敵なところだった。マガモがたくさん浮かんでいる池の周りは、散歩する人たちやジョギングをする人たちの格好のコースである。僕にはちょっと神宮外苑を彷彿とさせた。カメもいっぱいいた。おまけに広いパーキングロットも備えられていて、いつでも気軽に立ち寄れる場所である。
この公園にはミツワで買い物をしたあと、再び立ち寄ってランチを食べた。
アメリカ生活が長いわりに、結構、身近にある素敵な場所に、気づかずに過ごしてきてしまったことを痛感する機会がこの頃は多い。それだけ、最近になって、心に余裕が生まれてきたということなのかもしれない。
この肉体で、この惑星で過ごす残りの時間を、自分の心を豊かにできる機会として、できるだけ使ってゆきたいものだと思う。天もきっとそう願われて、そういう時間を僕に与えてくださっているのかもしれない。感謝なことである。
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