繰り返す人生

人生やり直したいかって?

はい、本当に。でも過去には戻れないんだよね。
いや待てよ。戻れないわけはないのかもしれない。だって時間は本当は存在していないのだから。ただ「永遠」があるだけなのだから。でも過去に戻るためには死ななければならない。死んでまた過去に生まれればいい話。あるいはつまりこうだ。宇宙には幾層ものパラレルワールドが同時に存在していて、この地球から1分遅れで進んでいる別の地球もあるに違いない。あるは1年遅れあるいは100年遅れあるいは1000年遅れ、、てな具合にその可能性は無限にある。逆に1年10年100年先を行っている地球もあるかもしれない。もし80で死んだら、80年遅れで流れている別に地球に転生すればいい。そうすれば僕はまた同じ人生をやり直せるという寸法だ。

あとちょっと頑張って医学部に入り、初恋の人(医者の娘だった)ハルコちゃんに結婚を申し込んだり、あの機会にブリティシュ・ロックを僕に目覚めさせてくれたミッコと付き合い始めて、今頃は同じ屋根の下で一緒にクイーンの映画を見ている、、なんていう人生も可能かもしれない。

たわいのない妄想を膨らませてしまった。

しかし「転生」と言っても、これまで思っていたような一直線上にあるようなものではなく、もっと多重層的な複雑怪奇な無限の可能性の中で執り行われていることかもしれないな、なんて考えたりもする。つまりそれは魂の学びのために。この無限に繰り返す幻想の中で魂は学びを獲得し進化していくのかもしれない。幻想を幻想(マヤ)だと悟っても、魂の学びのためにそれをあえて甘受するという生き方も「あり」である。演技と知っていながらも与えられた役に没頭する役者のように。それは進化のかなり進んだ魂の選択肢になるのであろうが、実際、マヤとは魂の強化のために必要不可欠なものなのだと思う。かくいう僕もこの世が「幻想」だと気づいているのだから、それなりにレベルの進んだ魂だということになるのかもしれない。自慢じゃないけど。

でも、本当に進化した魂なら(つまり、転生を繰り返すという「輪廻」から脱却できる資格を得た魂ならば)人生やり直したいなどとは思わないだろう。僕はまだまだ未熟な魂なんだな。他でもなく人生やり直したいと思うのがその証拠である。

そう考えると、この人生もまたやり直したいと思ってスタートした人生の可能性もある。やり直したはずなのにまたまた「悔い」を山のように残してしまったわけだ。こりゃ永遠に人生やり直し続けなければならなくなりそうだ。それこそ輪廻転生の原動力に違いない。その繰り返しは一体どこまで続くやら。


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